気を休める
善光寺の近くのお店。七味がずらり、、、とありました。
こんにちは。
朝・晩が過ごし易くなり、ほっとしています。
今日、娘は仕事関係の勉強会。
朝・昼・夜 の食事作りは、基本時間のある方が担当しています。
自分の父も亡くなった主人も料理は作れる人で、気がつけば
絶対自分が作らなければならない事はありませんでした。
そんな、環境でもなんとなく食事作りはプレッシャー。
今日はそんなプレッシャーもなく楽々しています。
気休め
骨休め
箸休め
この3つの休めを大切にしています。
気休めとは、、、、、。
私達は、ストレスの中で生きているし、これはどうしょうも
ない事だけれど、自分がホットできる時間を持っ事がとても大切。
気を休める時間は何か?と言えば、「まぁ、何とかなるだろう」
「明日は明日の風が吹くのだから」そう思える時間。
そして、人間は気休めを言ってくれる人がいてくれるのも大切らしい。
うそでも、例えお世辞であっても、自分が聞いていて、気分が良くなる
気持ちがいい、、そんな言葉を言ってくれる人がいて欲しい。(笑)
身体の事などは、特に自分が薄々感じてはいても、自分では
そう思いたくない事ばかり、、、。
人には、気を休めてもらえる言葉をかけてもらいたい。
だから、気休めとは、気を休める、安らかにする、安定させる、、
そんな意味らしい。
これは、五木寛之さんの著書から学んだ事。
- なるだけ医者に頼らず生きるために私が実践している100の習慣 (中経の文庫)
- KADOKAWA
- 2016-01-15
- 本
自分の体は、自分が治す、、、そんな気持ちになります。↑
- 人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方
- PHP研究所
- 本
正しいから、本当の事だから、、真実だから、、などと
言ってなんでもかんでも人に言う事が良いのか?と日頃
私は思っています。五木さんが使う身体語とは、自分の体が発してくれる
痛みや不調などのメッセージ。
病気は、完治を目指さないで、「治める」ものらしい。
戦って、完治させる、、でなく、折り合いをつけられればと
私もそう感じています。
今日は、これからコーヒーを淹れて、またまた
のんびりと過ごします。 それでは。また。
若い人と、接点を持つのも大事かも知れませんが
1人でいて、孤独を感じないというのも高齢者の
特権でしょう。
身体の中に、体・心と言う大変豊かな無限の広がりを
持つ鉱脈があるのです。
この鉱脈は、掘っても掘っても広がっていき一生
使っても掘りつくせません。
毎日が発見で始まり、発見で終わるのです。
80歳の私の体も沢山の問題を抱えています。
それでも、西洋医学の世話にならないですむ方法を
常に、常に考えてきました。
そのため自分の体と「身体語」を使って、毎日、必ず
会話をします。
自分の体に責任を持つ、、、これが養生なのです。
ー五木寛之の著書からー
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