手放すと叶う

老後を楽しく過ごすために私が選んだ方法は手放す事でした

やってみないと、分からない

2年程前、長野の善光寺に夜遊びに行き、偶然この景色を
見られて、楽しかったです。





こんにちは。


毎年、夏は全身ずぶぬれ覚悟で、家の窓に外側からホースで


水をかけて掃除します。


窓ふき無用のこの適当な感じが私に合います。



二階の部屋の窓めがけて、水をかけまくり、自分も水しぶきの


中、結構楽しんで、遊んでいます。



昔、小学校で窓拭きの掃除がありましたが、適当に拭いて


怒られた事がありました。


地区の公民館の掃除で窓を拭くときだけ、なぜか使命感に燃えて


頑張ります。




面倒だ、、、と感じた事は、簡単にしたくなります。



複雑で難しい事が苦手で出来ません。


生活もシンプル化しないと、イライラしてしまいます。


たくさん持つ事が豊かな事だと教えられ、信じ、物を


買うお金のために家族との時間も短くして頑張りました。



体調が悪くなり、生活を小さくして、なるべく買わない生活を


続けている内に、物に依存していた自分が可哀想だと思いました。


見渡してみれば、自然の移り変わりの美しさや、ひっそりと過ぎていく


季節の切なさや、夏祭りの後の寂しさを感じる心を、失くしていました。




忙しい、、、心を亡くすと書きますが、正に私でした。



そんなに、沢山の物が本当に必要なのか?


子供たち夫婦が遊びに来ますが、お布団を3組ひくと、私のマットレス


がありません。


冬の炬燵布団を二つ折りして、マットレス代わりにしています。




昭和30年代に生まれ、育った私。


家はあまり豊かではなくて、母は針仕事の内職をしていました。


ご飯が無い時母が、私達子供の手をひいて、近くのパン屋でパンの耳を


安く分けてもらっていた記憶があります。


豊かではなかったけれど、愛情はたっぷり母から与えてもらいました。


もちろん、貧しい事が良いとは思いません。思いませんが


そんなにお金をかけなくても、十分幸せな生活はできると


思います。



老後、年金生活になり年間140万の生活を目標にしていて


2年前から、この金額で生活できる様にしています。


今の収入は、この金額からみればすこし多くあるので、自然とお金が


貯まります。



娘と共有する物は、話し合いの上購入しているので


これから家にかかる修繕費を積み立てできています。



140万で生活しようと思ったとき、正直不安でした。


初めから直ぐにできた訳でもないし、予算がオーバーする


月もあります。


なので、自分が仕事を辞める時までに、それが可能な


生活スタイルを確立しようと考えました。



失敗すると、この方法ではないと分かるから良かったと考え


何度も何度も試行錯誤して、今のスタイルになりました。



昨日、道の駅に立ち寄り、欲しかったさくらの花のハチミツを買いました。


ふと、気がつくとレジの側に昭和30年代の長野県富士見町の農村の


写真集があり、思わず手に取り、30分程見てしまいました。


貧しい農村風景の中に、たくましい女性たちの姿がありました。


小さな子を背負い、農作業の重労働をしている姿が、母と重なり


見続けてしまったようです。



ー弱くなったものだーと


自分の事を思いました。母たちの時代この私なら、家から追い出され


そうです。(笑)



今の時代に生きていられる事に感謝できた私です。


それでは。また。