手放すと叶う

老後を楽しく過ごすために私が選んだ方法は手放す事でした

物があると物に追いかけられる・・希林さんの言葉

日常生活では、手を抜くことがいちばん。そのためには、徹底してものを増やさず無駄を出さない暮らしをしています。まず買わない。


靴下は3年くらい前に4足1束で売っていた、はき口が広がってる締めつけないものを今も使っています。ブラジャーも締めつけないものでダラっとね。ゆったりといちばんラクに、布をまとっているという着方です。


年をとると、メガネだけでも何種類も増えるでしょ。そういうことをなくしてなるべく使うものを減らす。とにかく減らす。何かと何かを兼用できるとか一生懸命考えて、思いついたときはもう最高に幸せ(笑)。不自由? もちろん不自由でしょうよ。不自由なものを受け入れその枠の中に自分を入れる。年をとるというのは、そういうことです。

(「人生でやり残しはないですね。この先はどうやって成熟して終えるか、かしら。」


『いきいき』2015年6月号)






「もっと、もっと」という気持ちをなくすのです。「こんなはずではなかった」「もっとこうなるべきだ」という思いを一切なくす。自分を俯瞰(ふかん)して、「今、こうしていられるのは大変ありがたいことだ、本来ありえないことだ」と思うと、余分な要求がなくなり、すーっと楽になります。もちろん人との比較はしません。


これはやはり、病気になってから得た心境でしょうね。いつ死ぬかわからない。諦めるというのではなく、こういう状態でもここまで生きて、上出来、上出来。そのうえ、素敵な作品に声をかけていただけるのですから、本当に幸せです。


(「表紙の私 ありのままで」『婦人公論』2018年5月22日号より)



靴も昔から、長靴を含めて3足と決めています。長靴は40年ほど前に業務用のものを買って履き続けていたんですが、先日、履いているうちに中がちょっとしみてきてしまって。仕方なく出先で別の長靴を買ったので、一瞬だけ家に靴が4足ある状態になりましたけど(笑)。


洋服は、自分で買ったものはほとんどなくて、どなたかからお古を譲っていただいて、それを着やすいように自分で胸ポケットをつけてみたり、ちょっとリメイクして着ています。家具にしても同じ。どなたかが「もういらなくなった」というものをいただいて使っています。


もともとケチだということもありますけど、一度使い始めたら、それをできるかぎり活かして、最後まで使い切って終了させたいんです。「始末」ですね。


先日も、近所の方が引っ越しをする際に、家具を捨てていったんです。たしかに古ぼけていましたけど、昔の家具というのは素材がよくて造りもしっかりしているので、ちょっと直せば十分使える。その家具も自分で表面を塗り直して、今使っています。


モノを持たない、買わないという生活は、いいですよ。部屋がすっきりして、掃除も簡単。汚れちゃったけど、いまは忙しいから掃除ができない、どうしよう……なんていうストレスもない。暮らしがシンプルだと、気持ちもいつもせいせいとしていられます。


(「歳をとるのはおもしろい」『PHPスペシャル』2015年7月より)



着飾っても甲斐がないし、光りものも興味がない。それより住むところを気持ちよくしたいなあって。


若い頃は安物買いの銭失いだったんですよ。でも、モノがあるとモノに追いかけられます。持たなければどれだけ頭がスッキリするか。片づけをする時間もあっという間。


(「50歳からの10年が人生を分けていく」『婦人公論』2016年6月14日号より)



こんにちは。
樹木希林さんの生き方が好きです。
自分の軸をしっかり持って自分でしっかりと考えて生き切った方、、そう思います。


時として、軸がぶれそうな時、不安になった時、、私は彼女の言葉を思い出します。
もともと、持たない暮らし、物や今までの思い込みも手放すことで、いろんな可能性
が出てきて「手放す」大切さを実感した私。


今後の世の中の流れもあり、ある程度の物を準備しましたが、ここからは
今までと同じ様に、物に頼り過ぎず自分のペースで生活していきます。


物が高くなったら、使わないで済ませる。
物が手に入らなくても焦らず工夫する。


ティシュペーパーから布へ
合成洗剤から純石鹸へ
そもそもお金を使わずに暮らせる方法はここ数年磨いて(笑)きました。
これからが腕試しの時代かも、、、そう思います。



今日は、ここ数カ月これからの生活の準備で忙しかったので少しゆっくりします。


それでは。また。